【Interview / インタビュー】
沖縄POPSユニット「Ryuty」照喜名竹美
~コロナ下で琉球テイストの音楽を届けるためにしたこと~
これまでの軌跡と今後の展望を語る

 


2人組の沖縄POPSユニット「Ryuty」(リュウティー)の唄、三線を担当する照喜名竹美(てるきな・たけみ)。142cmの身長からは想像もできないパワフルな歌声とユニークなトークが魅力のアーティストだ。 

ライブ、イベント出演、CD、CM制作とたくさんの楽曲を歌い、弾き、世に送り出してきた照喜名竹美に、コロナ下で経験した新たな音楽の形、幼少の頃からの音楽人生と今後の展望など5000文字たっぷりインタビューした。 

 

 

コロナ下で経験した「ライブ配信」と今までのライブとの違い 


コロナ下では、私は主に「17LIVE」というライブ配信アプリを使って、ライブをしていました。今までずっとライブハウスや居酒屋、ウェディングなどの現場で、お客様の前で歌ってきたので、お客さんの表情や声で、ライブが盛り上がっているかどうかなどを判断し、ライブの流れなどを調整していました。 

でも、配信ライブはこちらから視聴者の表情が見えないので、視聴者が盛り上がっているかどうかわからなくて、最初は慣れるのに時間がかかりました。 

視聴者の顔や声ではなく、視聴者からのコメントを見て視聴者が盛り上がってくれているか判断をする世界なので、違和感も感じました。 

コメントを見ながら歌ったり三線を弾いたりするのは容易ではなかったですね。音楽だけに集中できませんから、音程がずれたり実際の生ライブに無いことが起きてきます。 

 

また今までのライブだと音響スタッフや照明スタッフが付いてくれましたが、配信は全て自分たちでやります。配信用の機材を買って、接続も操作も1人で。 

野外で配信をするときは風の音が入ってきますから、その対策のための機材やバッテリーも新たに買い足したり、昨年は本当に修行の1年でしたね。以前の私に比べて、いろんな腕が上がったと思います 

 

収益の面でも、生ライブと配信ライブは異なりますので、とても勉強になりました。 

例えば、生ライブは「入場料」という形で収益をあげることが可能だと思いますが、私が利用していたツールでは、配信ライブ中に視聴者がいわゆる「投げ銭」をすることで収益が生まれていました。だから視聴者のお名前やコメントを丁寧に拾って読み上げないと、視聴者は去っていくという世界です。収益がなくなるわけです。 

コメントばかり読んでいると、今度は歌を歌う時間がなくなってきますから、配信ライブの時間を長くせざるを得ない。3時間の配信ライブを1日3回行う方は普通にいっぱいいました。 

視聴者のコメントを読むことが収益につながる世界ですから、ミュージシャンだけど、全然歌を歌わないミュージシャンもいました。しかも視聴者からの「投げ銭」は全てミュージシャンに入ってくるわけではありません私は他の音楽の生ライブ現場の仕事を持っていますので、毎日9時間近く配信ライブを行って収益を上げるとなると、時間的にも体力的にもなかなか難しい。9時間も喋っていたら、当然声が潰れてきます。私はそういう状態になったミュージシャンも目にしてきました。歌を生業とする私にとって「声は命」ですから、オンラインを優先してオフラインが台無しになるということは避けたかったですね。空いている時間は自分の技術を高める時間に充てたいと思いました 

ただ、配信ライブはこれからも大切なツールの1つです投げ銭を求めずに配信ライブを行うなど、いろいろと工夫して付き合っていきたいと思っています。 

 

 

メタルバンドでドラム、バイトの広告で三線 


今の私の沖縄テイスト音楽から想像できないと思いますが、以前はメタルバンドでドラマーだったんです(笑)。バンドでコザ音楽祭に出て、グランプリを獲得して賞金50万円を頂いたり。でもあのときは、私は全く音楽で食べるつもりはなかった。みんなに「音楽は趣味でやっている」と言っていましたから。 

お金をためて大学院を目指そうと思っていたのですが、なかなか仕事が見つからなくて。一人暮らしだったので、明日食べるためにふと見つけた「三線奏者募集」という居酒屋の求人広告に応募したんです。そしたら、合格。あれが私の本格的な音楽のはじまりです。 

小学校6年生から高校2年生まで民謡研究所で三線を習って、中学校2年に琉球民謡協会の優秀賞を取得して、いろんなステージやイベントにでていましたから、「三線なら弾けるかも!」という軽い気持ちでした。 

でも同時に企業からも就職の採用通知を頂いていたので、三線のバイトは断るつもりだったんです。そしたら居酒屋から「次の歌い手が見つかるまでの間だけでもお願い」という条件があったので、昼は本業、夜は三線という生活をはじめました。メタルバンドで一緒のメンバーだった比嘉ちゃん(現Ryutyギター担当比嘉諭史)が居酒屋の近くに住んでいたので、比嘉ちゃんも誘って、居酒屋での演奏をやっていました。 

居酒屋では、三線を弾くたびにいつも目の前にお客さんがいっぱい集まってきてくれて「自分の歌でこんなに喜んでくれる人がいるんだ」と驚いたのを、今でも覚えています。 

 

 

 

回りからの後押しで作曲、CD、CM制作へと道が広がる 


私、家庭教師のアルバイトもしていたのですが、家庭教師先のお母さんから「あなた面白そうだから、手相見せてごらん」と言われて、見せたんです。そしたら「あなた、とってもクリエイティブよ。CD出してみたら?まずは信じてやってごらん」とすすめられまして。冗談だと思ってスルーしたのですが、「騙されたと思って音楽書いてみようかな」と思って、書いてみたんです。 

比嘉ちゃんに「海を表現してみたいから、何かジャーと弾いてみて」と頼んでこれじゃない、あれじゃないとか言っているうちに、比嘉ちゃんが弾いたDのコードを聞いて「これだ!」と思ったんです。それにメロディーを載せて出来上がったのが1番最初の楽曲「Dの風」(笑)。三線と歌はスルスルと簡単に出てきて、一瞬で曲が仕上がった。だ「すごい。こういう風に曲を作るんだなぁ」と感動しましたよね。 

 

そのあたりから居酒屋のお客さんに「あんた達、自分の曲ないの?」と言われるようになりまして、披露したら「めっちゃいいじゃん!」と言われて、そのお客さんから紹介されたレコーディングスタジオで歌ったら、2週間後に自分たちの曲がキレイにアレンジされて仕上がっていたんです。びっくりしました。CD制作の話も持ちかけられましたが、「私30歳近くになるし、結構です。音楽では生きていきません。CDも作りません」と断ったんです。そのプロデューサーさんは「お金はいらないから」と言ってくれていたのですが、あの頃の私は聞く耳を持っていなかったですね。 

 

あの頃、ラジオ沖縄さんが50周年記念ジングルの一般募集情報を出していたのですがグランプリ賞金が10万円だったので、私、お金が欲しくて応募したんです(笑)。そしたら本当にグランプリを受賞して賞金を頂きまして。そしたら、お出かけ放送の公開生放送の出演依頼をいただくようになり私たちのオリジナル曲を歌う流れになったので、自分たちでCDを1枚、2枚と制作して。そこからは早かったですね。どんどんメディアで取り上げていただくようになり、音楽の仕事が多くなりました。 

OLの仕事との両立に悩むようになり、どうしようかと思いましたが、ラジオ沖縄さんから2年目もステーションジングルのご依頼があったんです。だから「もし3年目の話が来たら、私は音楽1本にしよう」と決めて、会社のほうにもそう伝えていたので、本当に3年目のステーションジングルのご依頼が頂いたときに、OLを卒業しました。 

「まずは音楽1本でやってごらん」と音楽の道に送り出してくれた会社には本当感謝しています。 

 

 

 

三線を持ったら風が変わるのを感じた。それを信じた 


音楽で食べると決めたのはいいですが、最初は怖かったですよねー。今までは本業があったから音楽の仕事が多く感じましたが、本業にすると少なく感じるんじゃないかと不安でした。 

でも三線を持った瞬間、風が変わったんですよね。 

私が三線を持つことを風が喜んでいるみたいな。それが聞こえた感じがしたんです。全てがどこに導かれているような感じ枯れ葉で見えない道を誰かがさっと掃除して、そこを一本道で行く感じがしたんです。 

 

8年前に音楽1本で生きることを決めて、最初の数ヶ月だけ県内の企業に営業回りをさせて頂きました。その後、営業先で罵声を浴びることもありましたが、お陰様でその会社さんからお仕事をいただくこともあり、私達だけで仕事が回らなくなり、たくさんのミュージシャンの皆さんにお繋ぎしました。この仕事があったから、コロナ下でもどうにか乗り越えられた。皆さんにとても感謝しています。 

 

コロナで音楽業界も変わって来たと思うし、私もいま仕事を引き受けるときは「キャンセルになるかも」と思って引き受けるようにしています。そのぶん私も新しいアイディアをどんどん生んでいます。企画書書きながら、また営業回りをしたいなぁと思っています。コロナ下だからこそ、企画アイディアも生まれましたし、配信する技術も磨かれた。コロナ下でもどうにか前を向いて踏ん張っていきたいと思っています。これからも、必要な人のところにどんどん行きたいです。 

 

自分にとっての“音楽”とは 


自分にとって、音楽は自然の一部。山も海も人間も自然の一員だから、メロディを作るときは、自然に身をおいているように作ります。 

作詞作曲の依頼が来たら、まずは依頼内容を自分の頭にいれ、ふと降りてきたメロディーを音にしています。 

 

私たちの音楽を聞いている人の笑顔が嬉しいですよね。コロナになって、1ヶ月の仕事が全てキャンセルになった時もあって、より皆がんの笑顔が恋しくなりました。ホテルのプールサイドで演奏しているとき「ありがとう」と、プールサイドの端から一輪の花を持ってきてくれる子供さんもいます。子供は純粋に反応して、純粋に楽しんでくれますね。 

 

これからは、世界での発信を目指していきたいです。私たちのテーマは、最初から変わらず「琉球テイスト」。沖縄が大切にしてきた言葉や考え方はとても素晴らしいものがたくさんある。それをメロディーにのせて、少しずつ歌っていきたいです。 

 

 

プロフィール 

照喜名竹美(てるきな・たけみ) 

沖縄出身、沖縄在住。2人組の沖縄POPSユニット「Ryuty」(リュウティー)の唄、三線担当。小学校6年で三線をはじめ、琉球民謡協会の新人賞、優秀賞取得。高校1年でドラムをはじめ三線を休止。加入するヘビーメタルバンド「大鴉-taia-」でコザ音楽祭最優秀賞受賞。バンド卒業後、居酒屋で元バンドメンバーのギター比嘉諭史と三線演奏をはじめる。琉球民謡協会最高賞受賞。2008年「Ryuty」結成。2010年ラジオ沖縄50周年記念ジングルで最優秀賞受賞し、作詞作曲能力に目覚める。2016年サンレレマイスター取得。2017年新唄大賞で「歌唱賞」受賞、翌年「グランプリ受賞」。多数のライブ・イベント出演、CM作曲・提供など多方面に活躍中。 

 

 

Ryutyオフィシャルサイト 

https://ryuty.com/ 

 

Ryuty official YouTube 

https://www.youtube.com/c/RyutyTV 

 

■照喜名竹美Twitter(@Ryuty Takemi 

https://twitter.com/RyutyTakemi 

 

 

(インタビュー / Text:小鍋悠 / Haruka Konabe

 

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